不定でもありません。
もちろん、0ではありません。
では、「解がない」もしくは、「存在しない」のか…はたまた、♾️なのか?
「不能」です。 能わずです。 もう少し正確に言うと、演算が定義されていません。 定義がないので答えることができないのです。 それを短く表現すれば「不能」です。
「存在しない」と言うのも、「定義されない」「定義できない」と意味が違います。 何故なら、「存在しない」は、文字通りとれば「解が無い」のです。
一見、♾️(無限)が良さそうに思いますが、無限は数ではなく状態を指しているだけなので、数として扱うと他の演算ルールがうまく行きません。 一部には、ルールを変えた数学も考えられてはいるようですが捗々しくないようです。
「定義できない」、「定義されない」から、演算結果が「無い」と言うのは言い過ぎです。 「定義が無い」「定義の範囲外」であると言うのなら分かります。 あくまで、今は計算しないという「意思表示」なのです。
何故、定義されていないのか、それを正直なところ、小中学生に分かるように説明するは無理でしょう。 「存在しない」と「定義されない」を混同させるほうが罪が深いと思います。 私に言わせれば、優しく誤魔化しても、騙しているのと変わりないと思います。
面倒なので「ルールでそう決まっている。」と言いたいところですが、正直に「ルールでそう決めている。」 「ルールで決めようとしても、 上手くルールが決められないので、取り敢えず、今は、不能と書いてください。」というしかないです。
一部の教育者の中には「ルールでそう決まっている。」と言うのは、頭ごなしに突き放したような言い方で教育上良くないと言う御仁もいますが、変なプライドは捨て、正直に、「今の我々ではまだ、よく分からないんだ。だから、『出来ない』=『不能』と書いてね。」と言うべきです。
ここからが本筋です。 ——
演算できない、見えないから、存在しないと言う発想では、虚数や量子力学・相対性理論は生まれて来ません。 あくまで、演算は人がルールで決めているものだと教えるべきです。 存在しないと言い切るのは、新しい可能性まで否定することになります。